葛飾坂東観音の歴史

12年の時を超えて開く封印されし扉

江戸中期、民衆の悲願を叶えるために

「江戸中期、民衆の悲願を叶えるために」
時は江戸中期、正徳四年(1714年)。平安時代中期に僧や修験者の修行として始まったとされる霊場巡礼は、この頃には一般庶民にも広く浸透していました。しかし、西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音といった主要な巡礼地はあまりにも遠方であり、身体的、経済的な負担が大きく、誰もが参拝できるものではありませんでした。

この現状に心を痛めた一人の僧侶が立ち上がります。下総国葛飾郡久能村(現在の古河市久能)の宝性院住職、秀伝。彼は、遠方へ赴くことができない人々のため、「当地(葛飾)に観音霊場を設ける」という、当時の民衆にとってまさに救いとなるべき計画を考案したのです。

12年ごとの奇跡、扉が開かれる時

秀伝の開いたこの巡礼の道は、その後、午歳ごとの12年の順年に盛大な御開帳を行う「吉例」として定着しました。

通常は固く閉じられている観音様の扉。しかし、12年に一度の御開帳の期間(3月18日から4月17日までの1ヵ月間など)、その封印が解かれます。巡礼者たちは、普段は見ることのできない観音様の御姿を直接拝顔するという、至高の功徳に与ることができるのです。これは、千手観音、十一面観音、如意輪観音、馬頭観音など、34の礼所と6か所の番外に祀られた、異なる慈悲を与える観音様との、12年越しの再会です。

この御開帳の伝統は、明治初期の廃仏毀釈の困難をも乗り越え、地域の住民の厚い信仰心に支えられながら、300年にわたって受け継がれてきました。各札所では、江戸時代の物語に登場する人形展示や、巡礼者をもてなす催しが行われるなど、地域一体となってこの伝統が支えられています。

葛飾坂東観音霊場巡礼とは、300年の時を超えて、変わることのない観音様の慈悲の光を、現代を生きる私たちに届けてくれる、まさに歴史と信仰の結晶なのです。

14_宝性院
14宝性院@古河市
14番札所・宝性院